松本山雅FCと一人の男

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今年2015年に日本のトップリーグのJリーグに初めて昇格したチーム、松本山雅FC。
長野県松本市、安曇野市、山形村、塩尻市をホームタウンとして拠点している、緑のユニフォームが印象的なチームだ。

2006年に北信越リーグ1部に参戦、2010年にJFL、2012年からJ2にそして晴れて2015年にJ1へ昇格した。
先ほども言ったように、チームカラーは緑である。その緑になったきっかけもまた興味深く、発足当時は緑色で以降は様々な色が使われたが、1991年に読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)との練習試合で敗れたことをきっかけに「読売のような強豪クラブを目指す」意味を込めて読売と同じ緑色に固定したという何ともスポーツチームらしい負けず嫌いな面が見えているきっかけである。どんなときもその緑のユニフォームを見るたびに絶対に負けないという気持ちが湧き出てくるであろう。(現在東京ヴェルディ1969にJ2なのでもう勝っている)

また、松本山雅と聞いて私には一人どうしても忘れられない男がいる。松田直樹だ。彼の名前を聞いて知らないサッカーファンはいないであろう。彼は松本山雅を最後の所属チームにし、34歳という若さでこの世を去った。死因は「急性心筋梗塞」。8月2日9時58分頃、松本市の梓川ふるさと公園にて同チームの練習中に突然倒れ、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送されたが帰らぬ人となった。彼がサッカーを始めたのは小学1年の時、兄の影響でサッカーを始める。天沼小学校の天沼FCに小学3年生から始める既定のところを特例で入団した。当時できたリフティングは最高で16回。他にも野球・バドミントン・水泳・ラグビーと様々なスポーツに挑戦するが、負けず嫌いの性格からどうしても一番になれないサッカーに夢中になっていったという。負けず嫌いな性格は大人になっても変わらず、いい面でも悪い面でもその負けず嫌いは目立った。

「俺は負けるのが許せないし、だからこそプロの世界で生きてこられた。」 と、自他ともに認める”負けず嫌い”の性格であり、 フィリップ・トルシエからは「試合に出さなきゃ殺すというオーラがある」と評価され、 Jリーグ時には闘志あふれるプレースタイルで、警告処分や退場処分にされることが多かったが、「本当は冷静なのに相手との駆け引きで熱く見せたりすることもある」「イエローカードも一つの勲章だと思っていた。」と語っていた。気合を入れるためにチームメイトに殴ってもらうことがあり、2004年CS(対戦相手は浦和)の試合前には栗原勇蔵に殴らせて気を失いかけた今だから笑えるエピソードもある。仲間に対する思いも熱く、負傷で離脱している選手や退団が決まった選手の名前をユニフォームの下に着るアンダーシャツに書いて着用することでも有名だ。

サポーターやクラブへの愛も強く、横浜FM時代にはミスターマリノスと呼ばれるほど親しまれた。2007年のレギュラーから外されていた時期の練習中には、サポーターによって松田の名前が入った横断幕が常に掲げられていた。

長年、松田直樹が所属し戦い続けてきたクラブだが、ベテラン選手を数多く戦力外通告するようになった。松田直樹もその一人だ。だが、戦力外の報道がされると、その日の内にクラブハウスにサポーターが大勢押し寄せ、戦力外を直接伝えたと言われる下條佳明統括本部長に撤回を求め詰め寄った。ファン・サポーターによって集められた再契約に関する嘆願書の署名数は数日で2万通を超えた。2010年12月4日の最終節後のセレモニーでは嘉悦朗球団社長と木村和司監督の挨拶はサポーターの松田のチャントでかき消され、セレモニー後のスタジアムには数千人のサポーターが6時間以上座りこんだ。こんなにも、サポーターから愛され、戦い続けた松田直樹だが戦力外通告は現実のものとなった。

だが、彼は次の道をまた切り開いていった。次のチームに選んだのがまだJFLだった松本山雅だった。J2昇格を目指すまだまだ弱小のチームだったが、松田直樹はサポーターの多さと、サポーターとの距離が近いスタジアムにまず興味を示し、松本山雅入団当時にはクラブ・監督・選手・サポーターが一丸となってJ2に上がりJ1へ行くと公言し、シーズン新体制発表の前に松本山雅FCのスタッフやチームメイトと共に松本市内の神社を訪れ、J2への「昇格」を祈願した。だが、この年の8月彼は帰らぬ人となった。

そして、松本山雅は松田直樹が帰らぬ人となった翌年松田直樹が祈願したJ2昇格、今年J1昇格となった。松本山雅で3の背番号を引き継いだ田中隼磨は、2014年11月1日にJ1への自動昇格を決めた直後、ユニフォームを脱ぎ号泣しながらピッチへ膝をついた。名古屋グランパス所属時代から毎試合着用しているアンダーシャツ には”ありがとう松田直樹3”と書かれており、試合後には、5月に松田と同じ右膝半月板を損傷しながらも試合に出続けていたことを発表した。その理由について「マツさんの遺志を受け継いだチームをJ1へ昇格させることにサッカー人生を懸けていた。」と語った。

松本山雅はこの男無くしては今のJ1昇格はなかったのではいかと、私は思う。
この、熱い男松田直樹がいたからこそチーム、そしてサポーターがより一層一丸となれ、戦えたからこその昇格だと思う。これからの松本山雅の活躍に期待したい。

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